器つれづれ(白洲 正子 (著), 藤森 武)

「どんなに上等なものでも、しまっておいたら必ず顔色が悪くなる。

つまり、死物と化すのである。

私は毎日そばにおいて荒っぽく使っている。

時には瑕がついたり、はげたりするが、道具はそこまでつき合わないと、

自分の物にはなってくれない。道具は物をいわない。

だが、美しくなることによって、こんなに育ちましたと、

嬉しそうな顔をする。その瞬間、私は感動する。」( 「私と道具」より)

 

白洲正子さんがご自分で普段使いされていた

器や道具の数々を写真と随筆で紹介した本です。

白洲正子さんの紹介はこちらをご覧ください。

白洲正子(武相荘ホームページより)

 

写真が大半で、そのうつくしさにほぉっとため息が出たり

うるうるしてしまったり、眺めているだけでも

十分たのしい。

そこに読みやすい平坦な言葉で書かれた

白洲正子さんのモノにまつわる解説とストーリー。

どうやって手に入れたかとか、

なにがいいと思ったかとか、

そういうことが書かれています。

 

白州さんのなにがうらやましいって、

まわりにとてもステキな先生がいること。

(3回も胃潰瘍になるぐらいしごかれるようですが…)

わたし自身、骨董にも興味があるのだけど、

どこからなにをしていいものか…。

 

こんな商売をやっているにも関わらず、

「いいと思えばいい」

これがとてもむつかしい。

とくに骨董については、本物と贋作があって、

それを間違えたくない気持ちがつよいのだと思います。

個人が暮らしの中ですきにたのしむには

「いいと思えばいい」が

きっと大切な基準。

当てものではないので「はい正解!ピンポンピンポーン!」

ということではないのです…きっと。

本の中で白洲さん自身も

「にせものであってもいいものは愛でる」

というようなことを書かれていて、

それが本物であることと、好きかどうかは

また違った視点。

一目見ていいと思った、最初はそうでもなかったけど、

つき合っていくうちに情がわいた、

そういった人間相手のつきあいにも似た

面白みを感じていくことが、

長く楽しむ秘訣なのかなと思いました。

あとはつくり手との共感。かな。

 

↓ 興味のある方はこちらから。

 

 

あ、この本の中で、

安土草多さんのお父様 安土忠久さんがつくられたグラスが

紹介されています。

草多さんのグラスよりぽってりな印象でした。

 

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