金継ぎ昔話 その二
こんにちは
さて、今回も金継ぎ昔話の続きです。
よくある金継ぎの「誤解」に、
確かに、金属で光ってますよね。
しかし実際には欠けた部分に、冒頭にも出てきた漆と、
なので金属部分は見えてる一層のみ、
金属の粉を漆に蒔いて付ける、これを蒔絵(まきえ)
この技法が日本で見られるようになったのは天平時代にまで遡りま
蒔絵技術の日本最古の例ではないかとされているのが、
その存在が記されている正倉院宝物の国宝「
この金銀鈿荘唐大刀に使われている金粉は、
金の塊を鑢(やすり)
天平の時代から、さまざまな工人や職人、
前回のお話で「継物師」さんのお話をしましたが、
それではなぜこの蒔絵技術が金継ぎにも表現されてきたのか?
なぜ傷を隠さずに目立たせるように加飾させたのか?
傷ついた部分を直し敢えて蒔絵すること、
「花は野にあるように」
「降らずとも雨の用意」
この続きはまた次回に。
国宝「金銀鈿荘唐大刀」
今回写真を掲載出来ないので、
いよいよ漆掻きシーズン、今年も良い漆が採れますように。